『桜田門外ノ変』ウォーク開催

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平成21年10月17日(土)、『桜田門外ノ変』ウォーク~桜田烈士の足跡を歩く~と題したウォーキング・イベントを開催しました。茨城県とNHK水戸放送局の後援、茨城県ウオーキング協会の協力をいただきました。
『桜田門外ノ変』の志士たちが、安政7年(1860年)3月3日の襲撃当日の朝に港区愛宕山にある“愛宕神社”に終結後、桜田門外に至り襲撃、その後に自刃・自訴…その足跡を歩きます。
コースは、原作『桜田門外ノ変』(吉村昭/新潮文庫)にある道順をもとに、明治期に刊行された『桜田義挙録』記載の地図を参考にしました。
水戸からの参加者はバスをチャーターし、現地からの参加者の待つNHK放送博物館に向かいました。首都高速の渋滞のため到着が15分ほど遅れましたが、総勢80名で出発しました。出発の際には、茨城県のキャラクター“ハッスル黄門”が出発に立ち会ってくれました。
 
愛宕神社の石段ではなくスロープを下り、愛宕通りへ出て北に向かいます。港区と千代田区の境にある外濠通り。西新橋1丁目交差点付近が【新し橋(あたらしばし)】。「新し橋」は文字通り、江戸期に新しく作られた橋で、その呼び名の橋は、江戸城下にいくつか掛けられていたそうです。なお「新橋(しんばし)」の地名の由来となった「新橋」とは、別の橋です。
祝田橋交差点を左折し、桜田門方面へ。警視庁を通過し、国会議事堂を左に見ながら、国会前庭北に寄ります。ここは、【彦根藩上屋敷跡】大老井伊直弼の屋敷跡です。ここから桜田門までは、当時と変わらずゆったりと左にカーブをしながら下っていく眺めです。
歩道を渡り、【桜田門】へ。警視庁前で立ち止り、大老襲撃現場と言われる場所を見学します。井伊大老受難の地でもあり、稲田重蔵闘死の場でもあります。150年前の雪降る朝、ここで起こった事件のことを思いました。
桜田門前では“ハッスル黄門”が激励に駆けつけてくれました。
祝田橋交差点付近は、井伊大老の首級を持った有村次左衛門が彦根藩士に背中から斬られた場所だそうです。お濠沿いに歩き、日比谷交差点を左折、馬場先門交差点の歩道を渡ります。志士たちはお濠沿いに歩いたかもしれないのですが、細かい記録がなく、ウォーキングの安全確保のため、今回は中の道を歩きました。
丸ビルの手前、三菱ビルヂング付近が【天童藩・織田兵部少輔邸跡】。その横で、山口辰之介と鯉淵要人が自刃したと思われます。行幸通りを渡り、新丸ビル手前を右折、丸の内センタービルディングを臨みます。ここは大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介の4人が自訴した【熊本藩・細川越中守邸跡】です。踵を返し、日比谷通りへ向かいます。左手にある東京海上日動ビルディング新館は【龍野藩・脇坂中務大輔邸跡】で、斎藤監物、佐野竹之介、黒沢忠三郎、蓮田市五郎の4人が自訴しました。
和田倉濠の前にあるAIGビルディング付近は【三上藩・遠藤但馬守邸跡】です。井伊大老の首級を持った有村はこの辺りで自刃し、首級は遠藤家で一時預かりました。
大手町交差点を左折、りそなマルハビル付近は【姫路藩・酒井雅楽頭邸跡】で、広岡子之次郎が自刃した場所です。
~桜田烈士の足跡を歩く~はここまでとなり、NHK放送博物館への帰路になります。
大手門を右に見ながら、和田倉噴水公園で休憩。お濠側へ道を渡り、二重橋、桜田門を経由し、愛宕神社へ。参加者の皆様の体力に応じて、スロープ、エレベーター、女坂、男坂の4つのコースでゴールに向かいました。
愛宕神社では【桜田烈士愛宕山遺蹟碑】を見学、お参りをする方もいらっしゃいました。
参加者80名全員無事にゴール。全行程約9kmを約2時間30分で歩きました。みなさまに完歩証と参加賞をお渡ししました。
参加者の皆様が維新の先駆けとなった150年前の志士たちに想いを馳せながら、歴史を感じあることができました。





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