第2回 水戸八景ツーリング

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 平成21年11月1日(日)第2回「水戸八景ツーリング」を茨城県サイクリング協会の皆様のご協力で開催しました。この日の天気は晴れ、日中の気温も上がるという予報で、絶好のツーリング日和です。参加者は昨年を上回る51人にお申込みいただきました。最年少は13歳の中学生、最高齢は昨年も参加いただいた77歳の男性です。
7時より受付開始、自転車のチェックをしてから出発式です。主催者より挨拶、サイクリング協会からの注意事項をお伝えした後、最高齢参加者の渡辺さんの掛け声でスタートです。 サイクリングの経験や自転車の種類、体力などに応じて8組のグループに分け、8時に県庁を出発しました。
茨城県庁を出て県道50号線(旧6号)を北上、千波十文字を過ぎてどことなく水と緑の香りを感じ始めた頃、目の前には「偕楽園公園」が姿を見せてくれます。偕楽園内には、水戸八景めぐり最初のポイント「仙湖暮雪」があります。水戸八景は、天保4年(1833年)に徳川斉昭公(烈公)が藩内の子弟に八景めぐりをすすめ、自然観賞と健脚鍛錬を図ることを大きな目的とし、中国の瀟相八景になぞらえて選定したものと言われています。
偕楽園南崖の遊歩道を西へ進むと、梅林の斜面中腹に「仙湖暮雪」の碑が現れます。第1班の到着時刻は、ここから望む千波湖は、その湖畔に柳堤の美を加え、そして鬱蒼とした緑岡を湖面に映じて見せてくれます。先人たちは、どのような思いでこの美しい景色を眺めていたのでしょうか。
「千重の波よりてはつづく山々を こすかとぞ見る 雪の夕暮れ」(烈公)

再び自転車に乗って「大日本史完成之地」の碑の前の坂道を下り、偕楽園をあとにします。ツーリングはここから先も、那珂市、常陸太田市方面へ引き続き北上を続けます。千波湖畔を左に折れるように上り坂となり、梅香トンネルをくぐり国道349号線に入ります。このトンネルの手前には「紀州堀緑地」が整備されており、ちょうどこのトンネルの位置が、水戸城の「紀州堀」の位置とぴったり一致しているのがわかります。当時で言えばこの紀州堀の底を進むかのようなトンネルの中を自転車で通り抜けると、前方には、那珂川に掛かる新万代橋がお出迎えです。水戸八景めぐり第2のポイントは、この橋を渡ったすぐ右側の那珂川堤防沿いにある「青柳夜雨」の碑です。ここにはかつて渡船場(青柳の渡し)があり、水戸から常陸太田方面に向かう棚倉街道の起点として賑わいをみせていたそうです。石碑は、大きな老柳の根元にあり、今は堤防が高くなってしまいましたが、当時は那珂川を隔てて水戸城下を望むことができたのでしょう。
「雨の夜に舟を浮へて青柳の 木の間を渡る風の涼しさ」(烈公)
第1と第2のポイント間は約5kmと近距離でしたが、ここから次の第3ポイント「山寺晩鐘」の碑(常陸太田市)までは、約20kmも離れています。ツーリングは交通量の多い国道349号線を避け、那珂市中台から旧道に入り、水戸農業高校、町道五差路を経て、那珂市役所まで走ってここで少し休憩。更に、北酒出地区まで北上した後、自動車の通行は難しい沈下橋の小さな木崎橋で久慈川を渡り、常陸太田市に入ります。粟原町、梵天山入口交差点を経由する平坦な道を進みますが、この先、佐竹小学校の手前は急な上り坂に果敢に挑む道となります。更に、天神林町交差点からは、細く曲がりくねった複雑な坂道を上り下りしながら、山の寺の脇を通り「県立西山研修所」を目指します。この西山研修所は昭和13年、徳川光圀公の建立した「三昧堂壇林」の跡地に「県立西山修養道場」として開所され、昭和29年に現在の施設名に改称されています。
この西山研修所の構内に第3ポイント「山寺晩鐘」の碑があります。当時の三昧堂壇林とは、久昌寺の付随施設として設けれれた学寮であり、常時数百名の学僧が修行を積んでいたそうです。碑のある高台から太田市内を眺めて耳を澄ませてみると、当時の勤行の声や梵鐘の音が時空を超えて聞こえてくるかのようです。
「つくづくと聞くにつけても山寺の 霜夜の鐘の音ぞ淋しき」(烈公)

バナナで栄養補給をした後、同じ常陸太田市内の第4ポイントを目指して出発です。途中、城下町特有の複雑な道筋に少々戸惑いながらも、坂道も力強く上りきり、市街地を走行すること約2kmで「太田落雁」の碑に到着です。ここは市街地の広がる高台の東崖となっており、ここからの眺めは阿武隈の山々はもとより、「真弓千石」と呼ばれる当時の水田地帯をも偲ぶことができます。また付近の湧井は、もとの太田御殿で「お茶の水」として使われた名水です。
「さして行く越路の雁の越えかねて 太田の面にしばしやすらふ」(烈公)

ツーリングは、この「太田落雁」の碑を北端として、ここから東海村、ひたちなか市、大洗町に向けて南下を始めます。里川沿いのサイクリングロードに入り、久しぶりに続く平坦な道にホッとひと安心したころ、「中内田田園都市センター」で昼食です。ここへの到着時刻は、第1班が11時00分、最終班が11時50分。また、出発時刻は、それぞれ11時40分、12時30分でした。
昼食会場を出発すると、里川が久慈川に合流するのに倣うかのように、ツーリングも久慈川サイクリングロードに入っていきます。広く平坦に整備されたサイクリングロードを東に進むと、やがて久慈川河口に掛かる久慈大橋に辿りつきます。この橋を渡って日立市から東海村に入り、国道245号線を原子力発電所/研究所の関連施設群に沿って進み「村松虚空蔵尊」に到着です。
虚空蔵堂は、平安初期(807年)弘法大師によって創建され、平安末期より約500年間は佐竹氏の保護を受け、また、近世には徳川家康公より朱印五十石を寄進され、光圀公の庇護のもと朱印寺として栄えました。また、大神宮には伊勢神宮の分霊が祀られ、光圀公や斉昭公の崇敬も厚かった由緒ある神社です。ツーリングの第5ポイント「村松晴嵐」の碑は、虚空蔵堂の裏手にある高台の松林にあります。ちょうど七五三のお参りで、おめかしした子供たちと親御さんたちで賑わっていました。
「真砂地に雪の波かと見るまでに 塩霧はれて吹く嵐かな」(烈公)

村松山の参道を抜けて再び国道245号線を南下し、ひたちなか市に入ります。幕末の水戸藩を二分した元治甲子の乱での激戦地・部田野地区を過ぎた辺りからは国道を反れ、相金町、浄光寺、八幡町と市街地を通り抜けて進みます。ひたちなか東警察署に向かう道を入り少し進むと、第6ポイント「水門帰帆」の碑が現れました。太平洋を一望できるこの高台からは、現代も眼下に那珂湊漁港や魚市場を見ることができ、かつて水戸藩の外港として賑わい、「西の大坂」・「東の那珂湊」と言われるほどだった商港としての栄えを偲ぶことができます。
「雲のさかい知られぬ沖に真帆あげて みなとの方によつる釣り舟」(烈公)
次のポイントまでは、約3kmと近距離の移動となります。先ほどの高台から眼下に見えた魚市場の入口を通り、海門橋(橋長約408m)を渡って大洗町に入ります。願入寺、かんぽの宿大洗の前を通り、自転車を降りて那珂川に向かって下り坂を歩いて行くと、第7ポイント「岩船夕照」の碑があります。
碑から見る景色は、崖下に那珂川と涸沼川の水が相有って、太平洋に今まさに注ご込もうとしている様子や、夕暮れ時には夕陽に浮かぶ筑波の山々を楽しめることでしょう。
「筑波山あなたは暮れて岩船に 日影ぞ残る岸のもみじ葉」(烈公)

水戸八景ツーリングも、のこり1箇所を残すのみとなりました。「幕末と明治の博物館」を過ぎて磯浜小学校前に進み、大貫町から県道106号線に入って国道51号線の下をくぐり、大貫橋を渡ります。この川が先ほどの涸沼川であり、その名の通り上流には涸沼が水を貯えています。
自転車は涸沼サイクリングロードに入り、広浦公園を目指して湖畔の道を進みます。ここまでは比較的順調に進んできましたが、涸沼川からの強い向かい風が、ペダルを重く感じさせます。キャンプ場の施設が見えてくると、そこが広浦公園、そして、最後のポイント「広浦秋月」の碑があります。
涸沼は江戸時代には、水戸と江戸を結ぶ水運の要所となっていました。烈公は広浦の名月を観賞するため、藤田東湖や会沢正志斎らとともに船でこの地を訪れていたといわれます。
「大空の影に映して広浦の 波間をわたる月ぞさやけき」(烈公
水戸八景巡りは終わっても、ゴールまであと一息、道のりは約10kmです。最後の力を振り絞ってペダルを漕ぎます。山~川~田畑~海…旧水戸藩領の豊かな自然を進んできましたが、水戸の街中に入ってきました。目指すは高さ116m、地上25階建ての茨城県庁です。
15:35、第1班がゴールしました。約7時間30分で水戸八景すべてを回りました。3班、2班、7班と続けてゴールです。少しずつ時間をおいて5班、4班、6班もゴールしました。日が暮れ雨粒が落ちてきた17:15、最終組8班がゴールしました。70歳代の3人組です。渡辺さん、平根さんは昨年に引き続き、今年初参加の菊地さんも無事にゴールしました完走証と記念参加賞をお渡ししました。
参加者の皆様、疲れがありつつも爽快感そして達成感を味わっていただいたようです。とても楽しく充実した秋の1日を過ごしていただくことができました。



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