ストーリー


【主要登場人物】

関  鉄之介
茅根 伊予之介
鮎沢  伊太夫
ふ     さ
誠  一  郎
い     の
野村  彝之介
木村 権之衛門
岡 部  三十郎
森山  敏之介
住谷  寅之介
矢野  長九郎
高橋 荘左衛門
佐藤  鉄三郎
有村   雄助
武田  耕雲斎
桜岡 源次衛門
金子  孫二郎
高橋  多一郎
井伊   直弼
徳川   斉昭

■桜田門外の変
襲撃メンバー
稲田   重蔵
山口  辰之介
森  五六郎
広岡 子之次郎
広木  松之介
森山  繁之介
佐野  竹之助
黒沢  忠三郎
大関  和七郎
蓮田  市五郎
杉山  弥一郎
増子   金八
海後 磋磯之介
斎藤   監物
鯉淵   要人
有村 次左衛門
(37)
(37)
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(25)
( 4)
(23)

(36)
(43)


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(16)
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(28)
(53)
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(23)
水戸藩・北郡務方 桜田門外の変 現場指揮者
水戸藩・小姓頭 鉄之介の親友
水戸藩・勘定奉行 鉄之介の親友
鉄之介の妻
鉄之介の息子
鉄之介の妾
水戸藩・北郡奉行 改革急進派 鉄之介の上司
水戸藩・吟味役 改革急進派
水戸藩・小普請 桜田門外の変の検視見届役
水戸藩士 野村の配下
水戸藩士 改革急進派
水戸藩・矢倉奉行 改革急進派
弘道館諸生 高橋多一郎の息子
水戸藩士
薩摩藩士 次左衛門の兄
水戸藩士
常陸国袋田村 庄屋
水戸藩・南郡奉行 襲撃首謀者
水戸藩・奥右筆頭取 襲撃首謀者
彦根藩々主 大老
水戸藩前藩主(第九代藩主) 老公



水戸藩・郡吏 
水戸藩・大番組
水戸藩・小姓組
水戸藩・小普譜
水戸藩・評定所吏員
水戸藩・矢倉奉行手代
水戸藩・小姓組
水戸藩・大番組
水戸藩・大番組
水戸藩・寺社方手代
水戸藩・鉄砲方御用
水戸藩・小普請
常陸国・神官
常陸国・神官
常陸国・神官
薩摩藩士

(注)年齢は「桜田門外ノ変」が起こった年、安政七年 = 万延元年(1860)の数え齢


【時代背景】

第九代水戸藩主徳川斉昭とその側近の藤田東湖は、天保時代に急進的な藩政改革を行なおうとして門閥派の反発を招き、彼らの讒言により幕府から隠居謹慎を命じられた。これに対して、東湖の門下生を中心とする改革派は、斉昭の無実を幕府に訴え、嘉永二年(1849)に斉昭の藩政復帰がなった。のち東湖の謹慎も解け、側用人に復帰している。

時あたかもペリーの黒船が来航し、対外政策に先見の明ある斉昭の存在を、幕閣も無視できなくなった。だが、幕政参与となった斉昭は、欧米列強との一戦も辞さない覚悟で外交交渉にあたるべきと硬論を吐き、彦根藩主井伊直弼ら譜代大名との間に対立が強まった。

こののち、斉昭と東湖は、水戸藩の政治改革に着手し、兵器の製造、軍事軍制の改革強化を図った。この時期、東湖は、西郷隆盛、橋本左内、吉田松陰ら各藩の志士と深く交わっている。水戸学を元にした東湖ならではの尊王攘夷論は、志士たちに大きな影響を与えた。だが安政二年(1855)、江戸を襲った大地震によって東湖は圧死した……。

安政四年(1857)秋、米国総領事ハリスは幕閣に修好通商条約の締結を迫った。これ以上の弱腰は欧米列強につけいられるだけとみた斉昭は、ハリスの提案を断固拒絶せよと建言した。だが、幕閣は斉昭の意見を容れようとはしない。斉昭も渋々条約締結に同意しかけたが、このとき京都朝廷が条約案への勅許を拒絶、政局は一挙に流動化した。

この頃の幕府には、もうひとつの懸案があった。病弱な将軍家定の継嗣問題である。血統からいえば紀州藩主徳川慶福が最有力であったが、国家危難の切所にあって年長かつ英明な一橋慶喜を将軍継嗣に望む声が有志大名の間に多く、彼らは一橋派と呼ばれた。慶喜が斉昭の第七子であり、現藩主徳川慶篤の弟であることから、水戸藩士の中にも慶喜に期待する者は多かった。 

だが、井伊直弼は、安政五年(1858)春に大老に就任するや、条約問題と将軍継嗣問題の強権的解決をはかる。朝廷の勅許が降りないまま日米修好通商条約に調印、さらに慶福が後継に決定した旨を一方的に発表したのである。

斉昭、慶篤ら一橋派の諸侯は、江戸城に不時登城して井伊を責めたが、逆に不時登城を咎められて処罰された。斉昭は謹慎。慶篤、慶喜は登城停止である。その翌日、家定が急逝して、慶福改め徳川家茂が十四代将軍となっている。一橋派の領袖である薩摩藩主島津斉彬はコレラを発病して亡くなった。

そんな中、井伊大老の強権政治に反発した水戸藩士と薩摩藩士が朝廷に工作、条約の無断調印と一橋派諸侯の処罰を詰問する趣旨の勅書が朝廷から直接水戸藩へ出された。この勅書降下は幕閣を震撼させた。これを一橋派の陰謀とみた井伊は、各藩藩士、さらに公卿にも追及の手をのばしていった。世にいう「安政の大獄」である……。


【ストーリー】

安政7年(1860年)2月18日早暁、水戸藩士・関鉄之介(大沢たかお)は妻ふさ(長谷川京子)と息子の誠一郎(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から出奔した。鉄之介はこの年の1月、水戸藩の有志たちと徳川幕府の大老・井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を結び、それを実行するために江戸へと向ったのである。大老襲撃は3月3日に決まり、鉄之介を始めとする水戸脱藩士17>名と、薩摩藩士・有村次左衛門(坂東巳之助)を加えた襲撃の実行部隊18名が集結。そこで襲撃計画の立案者で水戸藩尊王攘夷派の指導者・金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は実行部隊の指揮を執るよう言い渡される。 そして襲撃当日。品川愛宕山へと集結した鉄之介たちは、襲撃地点である桜田門へと向った。襲撃者の一人が大老の行列に直訴状を差し出す振りをして、行列に斬りかかる。同時に仲間が発砲した短銃の発射音を合図に、斬り合いが始まった。やがて有村次左衛門が大老の駕篭へ到達し、ついに井伊の首を刎ねた。襲撃隊は稲田重蔵(田中要次)が闘死、4人が自刃、8人が自首。その成功を見届けた鉄之介は、京都へと向う。計画では大老襲撃は序曲に過ぎず、同時に薩摩藩が挙兵をして京都を制圧し、朝廷を幕府から守るはずだった。しかし薩摩藩内で挙兵慎重論が持ち上がり、計画は瓦解する。幕府側からは勿論、かつての同胞・水戸藩士からも追われる立場となった鉄之介は、「桜田門外ノ変」に至る歳月を思い返していく。 安政元年(1854年)のペリー来航以来、外圧に負けて鎖国の門戸を開こうとする井伊直弼など徳川幕府の譜代大名たち。それに異を唱えて尊王攘夷論を押し出した水戸藩主・徳川斉昭(北大路欣也)が対立。やがて井伊が大老に就任したことから、斉昭の一派は失脚。井伊はさらに斉昭に賛同した各藩の藩士、公家を弾圧する『安政の大獄』に手を染めていく。この暴挙を食い止めるため、鉄之介たちは立ち上がったのだったが……。

「我らは井伊直弼の首一つを奪うためにどれだけ多くの命を道連れにしたのでしょうか」


『桜田門外ノ変』映画化の概要



【オープンセット・記念展示館】

 オープンセット・記念展示館の概要
 オープンセット・記念展示館の建設レポート


【企画概要】
〈原   作〉  『桜田門外ノ変』 吉村 昭(新潮文庫)
〈脚   本〉  江良 至 / 佐藤 純彌
〈監   督〉  佐藤 純彌
〈企   画〉  橘川 栄作
〈プロデューサー〉  三上靖彦 / 川崎 隆 / 鈴木義久
平成22年 (2010年 桜田門外の変 百五十年)
     1月20旬    クランク・イン
     3月末     クランク・アップ
     秋ごろ     完成・先行上映
     10月16日   全国ロードショー

【企画意図】

~『桜田門外ノ変』映画化にあたっての視点~

◆今、何故『桜田門外ノ変』なのか
この事件の歴史的評価をめぐって、明治維新以後、戦時中も戦後も定まった統一意見はない。
しかし、明治の新政府が確立するわずか8年前に起こったこの事件が、幕末の歴史の動きに大きな影響を与えたことは紛れもない事実である。
司馬遼太郎は「暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、桜田門外の変だけは、歴史を躍進させた、という点で例外である。」と書いている。
明治維新、太平洋戦争に続いて、日本は今、第三の変革の時代と言われている。黒船来襲、日米戦争に続いて、資本のグローバリズムの波が否応なく日本を覆い、国際関係の中で日本の立つべき位置がどのようなものなのかを、今、我々は問われている。  そのような時代に私たちは、第一の開国の時代の歴史を、そしてその中でもタブーだった「桜田門外の変」を見つめ直すことは、大いに興味あることだと思う。

◆どのように描くか
映画『桜田門外ノ変』は、井伊直弼暗殺事件の実戦部隊の指揮官だった関鉄之介を主人公として描かれる。私たちは、関鉄之介を歴史のヒーローとして描くつもりはない。
当時の幕藩体制と水戸藩の関係、水戸藩の下級武士であった彼が何故このような大事件に関わるようになったのか、そして事件後、彼は何を考え何を悩みながら、二年後の捕縛に至ったのかを克明に描くことで、歴史の動きとその中で翻弄される個人、そして個人の喜怒哀楽を通じて歴史を再認識させるという形で描きたいと思う。
「変革は この時から始まった」
「ここから日本は変わった」

 

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