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| 昭和2年(1927)、東京府北豊島郡日暮里町大字谷中本(現・荒川区東日暮里六丁目)に、父隆策、母きよじの八男として生まれる。根岸(現・東日暮里五丁目)の神愛幼稚園、東京市立第四日暮里尋常小学校(現・ひぐらし小学校)、私立東京開成中学校(現・開成中学校)に通い、昭和20年(1945)4月13日の夜間空襲で家が焼失するまでの18年間を、荒川区で過ごす。その後、学習院大学時代から文学を志し、昭和41年には『星への旅』が太宰治賞を受賞、出世作となる。同じ年に『新潮』に発表しベストセラーとなった『戦艦武蔵』は、記録文学に新しい分野をもたらしたと世評高く、昭和48年には『陸奥爆沈』、『関東大震災』と共に菊池寛賞を受賞。『深海の使者』が文芸春秋読者賞を受賞するなど、数々の賞を受ける。 さらに、昭和54年『ふぉん・しいほるとの娘』が吉川英治文学賞、昭和60年『冷い夏、熱い夏』が毎日芸術賞、『破獄』が読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞、平成6年『天狗争乱』が大佛次郎賞をそれぞれ受賞。 緻密な取材、徹底した調査を基に、鋭敏な文体で豊饒な文学作品へと昇華させる独自の創作手法により、数々の文学賞に輝き、多くの読者から広く称賛されている。 『桜田門外ノ変』のあとがきや『史実を追う旅』では関鉄之介の捕縛された場所や、事変当日の雪の止んだ時刻について調べ上げた経緯を綴っている。また、『桜田門外ノ変』執筆中に「尊王攘夷」について悩み、それまで書きあげていた252枚の原稿を燃やし、「箒星」の章から書き直し始めたが時代設定が早すぎたということで破棄した、というエピソードがある。 昭和62年には作家としての業績により日本芸術院賞を、平成3年には東京都民文化栄誉章を、そして、平成4年には荒川区区民栄誉賞を受賞。また、日本文藝家協会理事長代行、日本芸術院会員、日本藝術院第二部長という大役も担ってきた。平成18年(2006)逝去、享年79歳。 |